この公園の歴史は大正6年、齢60を迎えた気骨ある有志によって設立された「令終会」の発願で整備され、長岡のみならず近郷近在の多くの人々に親しまれてきた公園です。わがクラブは戦後間もない昭和29年から、さまざまな整備支援活動を続けてきました。(以下は長岡クラブ21年の回顧より抜粋したものです)「復興途上の長岡市は戦災で消失した学校や公共施設の再建に追われて、公園の整備までは手が廻らなかった。市民の荒れすさんだ生活環境は少しも改善されないばかりか、交通禍も年を追う毎に激しくなってきて、子供たちの遊べる場所の確保と、市民の疲れた心を癒すためにも公園の整備を急ぐ必要があった。特に悠久山公園は市民にとっては最も親しまれてきた公園であるにもかかわらず、終戦後は何の手入れもされず荒れ放題になっているのに心を痛め、市が出来ないのであれば長岡ロータリーが立ち上がって整備を進めようということになったのである」
40周年に設置
菖蒲園の整備
長岡のシンボルとして「お山」の愛称で親しまれてきた悠久山公園の来訪者のために、わがクラブではそれまでにも四阿(休憩所)を設置してまいりましたが、クラブ創立40周年(野村年度)にあたって自然環境に耐える、より強固な構造として耐雪構造の鉄筋入りコンクリート擬木仕上げということで建設監理を担当しました。訪れる市民に愛される休憩施設としてこれからも大いに利用していただきたいと願っています。(1991年)
第41代会長寺井達男