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卓話(2011年度)

2011年度の卓話をまとめております

 

第3002回例会 2012.6.19

 

「私の戦災記憶」:松本紘明君

 

 間もなく1月ちょっと経ちますと「長岡祭り」いわゆる戦災に遭った日になります。つたない記憶ではございますので間違っていると悪いので近くの戦災資料に伺いまして調べさせていただきました。70年くらい前の記憶ですのでいささか薄れておりますがご了承ください。私は兄弟4人の末っ子でして、当時は、富山と岐阜に兄が行っておりました。母の所に「近所で防空壕を掘っているみたいだけど絶対空襲になったら防空壕に入ったらだめだよ。」と岐阜の兄からだと思いますが連絡がありました。母も納得しておりました。

 当時酒屋でございましたが、酒が売れなくて配給所という所に勤めておりました。母は仕事がないので近所の帝国石油の輸送所に勤めておりました。私どもは、お手伝いさんと渡ら兄弟2人が居りまして、私は当時年少組でした。ご近所の中央幼稚園でございまして、「空襲警報」と用務員さんが鐘を鳴らして回りまして、私の場合はお手伝いさんが迎えに来て帰るという事でした。

 8月1日の数週間前にビラが撒かれました。当時、ゲートルを履いたおじさんがビラを回収に来ました。その記憶が間違いないのか戦災資料館に確認に行きましたらおいてありました。「空襲をやるぞ」と書いたビラでした。間際になったら「長岡」という文字が消えていたんです。私の母は、当時小学校3年の兄と幼稚園の私をお手伝いさんの実家がある来迎寺町笹花という所に引っ越しをさせました。そうすれば本人と父で逃げれば良いだろうと考えたんだと思います。その他覚えておりますのは、穴を掘りましそこに茶箱を2つ入れまして、そこに缶詰や着替えを入れておいた記憶がございます。不幸な事に8月1日に兄が「こんな所は嫌だ」と言って私の手を引いて家に連れて帰ったんです。その晩に空襲でした。夜中にうつらうつらしているところを起こされたせいか、母は私に防空頭巾をかぶせて私を背負いました。小学校3年の兄の手を引いて逃げた訳でございます。ニューオータニ前に「春六」というお店がありますが、突き当りが踏切でした。そこを渡り、互尊社の前を通りまして栖吉川の土手にたどり着きました。橋を渡って、さすがに母も疲れたんでしょう、父とも離れ離れになっておりましたので私畑に降ろして伏せておりました。明け方でしたが、蚊がたくさんいて痒くて仕方なかったことを覚えております。しばらくすると雨の様なものが降って来ました。触るとベッタとして油の様でした。つまり、油をまいてそこに焼夷弾を落として燃えさせたわけです。一瞬、栖吉川に火が走りましてビックリしたのを覚えております。遠くの方に明かりの着いている大きな建物がありまして、それは火葬場でございました。当時は、空襲の時は電気を消して逃げましたが、あそこだけ着いていました。案の定火柱が上がりました。戦災の資料によりますと2時間くらいの爆撃だったようですが、私達には一晩中空襲にあったような記憶です。じっとしているうちに空襲がやんで、一晩そこで過ごして、昔の新潟大学のそばの橋にたどり着きました。偶然にも父がそこに居りまして無事を確認しあいました。家族で家の所に戻りましたが、何せ焼けておりブスブスと煙が立っておりました。北越銀行の洒落た建物が丸見えでした。突然ご近所方が泣き出したので見ておりましたら、お隣の小林石油のおばあ様が炭みたいになって黒焦げになっておりました。悲惨な話でございます。そして、取りあえず掘ったものを出してみました。茶箱の中にビールが1本入っておりました。ところが開けた途端に噴出したのを覚えております。そしてお手伝いさんの実家に避難をお願いしようという事になり、家族で歩いて長生橋に参りましたら、ふもとに焼夷弾の筒が積んでありました。私はその時に初めて泣き出しました。「お兄ちゃん怖いよ!」兄にしがみついたので兄もビックリしておりました。一つの安心感もあったのかあるいは余裕が出来たのか分かりませんが、兄も驚いておりました。笹花で御厄介になりましてあまり長くは居れないので、母が帝国石油のつてを頼りまして浦瀬に東山工場があり、そこの社宅にお世話になることになりました。そこで一息つきました。その朝、一機のB29が低空飛来しました。また空襲かと思っておりましたが、資料館の人に聞きましたら、写真を撮りに来ていたんではないかとの事でした。そんな記憶がまだ残っております。今まであまり考えたことがなかったんですが、戦災資料館が近くに出来たことで記憶が蘇って来ました。70年近く前の記憶ですのでどの程度正確かわからなかったので、一つ一つ資料館で聞いて修正したり確認しました。色んなことがありますが、人が焼かれたり殺されたりという事は大変な不幸でございます。どうかこんなことが2度とないように2度と内容に願いたいものです。

 

 

「つなぐ思い、遥かに ~小笠原海底光ケーブル敷設工事~」:米山幸男君

 

 私、入会の時にお話しさせて頂いたと思いますが、こちらに来る前は、小笠原海底光ケーブルの現場に居りました。その時のことを今回お話しさせて頂こうと思っております。

 なかなか、離島や中山間地ですと採算が見込めないという事で新しい光ケーブルを使ったサービスが提供できなかったんですが、新潟にいたときには、旧山北町の朝日村等をやって居りましたが、東京に居りました時にちょうど運良く国の費用を含めて100億円の海底ケーブルというビックプロジェクトに参加させて頂きました。

 小笠原は東京都です。最南端の沖ノ鳥島もそうです。平成23年6月に世界自然遺産に登録されました。実際に人が住んでいるのは、父島と母島です。父島で2千人、母島で500人です。1000キロと言う、非常に遠い所です。小笠原は、テレビも電話もインターネットも今までは衛星で行っていました。地上波デジタル放送への切り替えもあり、国からお金が3分の2、東京都から3分の1出ました。

 

「国際ロータリーバンコク大会報告」:田嶋晴美君

去る5月7日(月)深夜より5月12日(土)早朝にかけて、石本ガバナーを団長に第2560地区メンバー32名が国際ロータリー第103回年次大会(バンコック国際大会)に参加をしてきましたので報告いたします。

 5月9日閉会本会議における田中作次RI会長エレクトの講演を聞くことが一番の目的ですが、当日はホテルを朝9時に出発し10時前に会場のインパクトセンターに到着、大会受付をしてから、まずは全員で「友愛の家」(RI各委員会やロータリー親睦活動グループ、各プロジェクト、全世界の地区・クラブが活動報告のためブースを出展している会場)を散策しました。日本からも東日本大震災後の活動を伝える第2520地区(宮城県、岩手県)や第2710地区の広島平和レポート、第2750地区の「持続可能な東京の町づくり」の展示がありました。アフリカの民族衣装を身に付けた人、クラブのブレザーを身につけバッジの交換をしている人など会場は国際色豊かで、ロータリークラブ世界ネットワークの懐の深さを感じることが出来ました。

 閉会本会議は14時に開場でしたが、開場前に田中作次会長エレクトがロビーにいる我々の前を通られるという幸運にも恵まれ、鈴木ガバナーエレクト始め数名が一緒に記念撮影をしました。本会議は14時30分から始まりましたが、カルヤン・バネルジーRI会長の閉会本会議開会宣言、大会を成功させた国際大会委員会への感謝の辞、そして田中作次会長エレクトのご家族紹介と続き、いよいよ田中作次会長エレクトの講演へと進みました。

講演ではエレクトの生い立ち、苦労した子供時代の経験が語られ、その経験からエレクトの心に商売をすることは社会への貢献、奉仕へと繋がるという概念が形成されたこと、そして「Peace through Service」の精神へ結びついたことが語られました。講演後には八潮ロータリークラブのメンバーが多数登壇し、バナー交換が行われました。式典終了後はロンドンを拠点に活動する「ストリングフィーバー」の演奏やテレンス・ルイスさんによるインド民族舞踊を鑑賞し、全員で閉会の歌「Let There Be Peace on Earth」(地球に平和を)を合唱し17時30分過ぎに会場を後にしました。この日はたっぷりとロータリー国際大会を満喫し、ロータリー活動に対する視野を広めることが出来ました。

大会の前日と翌日、翌々日はバンコクやアユタヤの観光を楽しみ、また、山崎ガバナーノミニーにおいてはバンコックRCにメイキャップするなど充実した日々を過ごしました。

 5月10日の夜は、別ルートでバンコック入りしたクラブメンバーも含め第2560地区メンバーが王室御用達レストラン「リンファー」に集結し広東料理に舌鼓を打ちながら懇親を深めました。

 次年度は2013年6月にポルトガルのリスボンで国際大会が開かれます。田中作次会長年度になりますのでたくさんの方々の参加をお待ちしております。


バンコクの写真です。





 

 

第2993回例会 2012.4.10

 

鈴木重壱君  「長岡が生んだ偉人 田中長嶺について」

 

 本日は田中長嶺さんの資料を配布させていただきその事についてお話しをさせていただきます。彼は明治の初頭、深才の富岡つまり技術科学大学の下の方の集落ですが、そこに生まれた方です。この地は渋海川と信濃川の合流地点に位置し、肥沃で水害にも会いづらい住みやすい場所で縄文時代からずっと栄えた地域です。集落には今も長嶺の生家の屋敷跡があります。私がこの事を知ったのは今から3年半前に長岡地域振興局の高島さん(私達の新潟みどりの百年運動を手伝ってくれていた関係があった)という職員が居りまして、ある日彼女から「鈴木さん、田中長嶺と云う人を知っていますか。長岡の人らしいんです。愛知県では神様のように尊敬されているそうです。長岡市に聞いてみてもこれといった資料が無いそうなんですが」という話がありました。それを聞いて私も色々と調べましたがやはり資料がありませんでした。わずかですが商工会議所の会頭室の書棚の一冊に長岡の人物伝があって、そこに3・4行長嶺に関する記述があるだけでした。そこには、「深才村の出身で子供のころから絵が好きで絵師を志して江戸に出たが、才能がなく挫折して帰ってきた」と書かれておりましたが、後の調べて、実はこの記述は根拠の無いガセネタで家のために志半ばで帰らざるを得なかったのでした。

そうこうしている内に、一昨年、愛知から電話が入りまして、「我々は愛知県の大恩人である田中長嶺の顕彰会を作りたいんだが、是非設立総会に来てくれないか。」という事でしたので行って参りました。その後地元長岡に於いても「日本を代表するような素晴らしい人が長岡から出られたという事に対して長岡人としてほっておけない」という事で、昨年12月に長岡でも「ながおか 田中長嶺事績顕正会」を立ち上げる運びとなったのであります。

会となれば会長が必要という事で、言い出しっぺの私に話が来ました。今の私には時間的余裕はないのですが、軌道に乗るまでという事でお引き受けいたしました。

 只今チラシをお配りしましたが、アオーレで4月24日(火)~5月5日(土・祝)まで「田中長嶺典」を開催いたします。チラシに墓石が載っておりますが、お墓と顕彰碑です。「春風や仏を刻むかんな屑」と刻されています。・・・己の全身全霊を削って削って、刻んで刻みながら、世の中の為になろう・・という長嶺の覚悟が刻まれています。

この墓と碑は愛知県西尾市の聖運寺にありますが、田中家の菩提寺は長岡の徳宗寺(日赤町)です。徳宗寺はお西(本願寺派)なんですが、菩提を弔っていただいている聖運寺はお東(大谷派)です。

チラシの裏面にも書かせていただきましたが、この機会に多くの皆さんにこの企画展に来ていただいて、その偉大なる足跡に触れていただければと思います。そして願わくば第二、第三の田中長嶺がこの越後長岡から出てくれないかなと思っております。

 企画展のすべての資料は、愛知県西尾市の田中長嶺顕正会の会長さんが持ってきてくださいます。会員の皆さんも引き連れて長岡にお越しいただきます。

余談ですが、昨年長岡ロータリークラブは小諸ロータリークラブと姉妹提携を致しました。小諸と長岡は牧野家を通じた深い関係がありますが、牧野公を始め長岡藩士の大方は、もとはと言えば愛知県の出身です。また、12月になると赤穂浪士の話が出ますが、浅野の仇役にされた吉良家は越後上杉家と浅からぬ姻戚関係でその所領もかの地にあります。あの忠臣蔵はノンフィクションであり史実と大きく違っておりまして、敵方にされている吉良家は本来、吉良の赤馬という伝説があるほど領民を大事にして素晴らしい政治を行った名君が歴代続いたと言われる家系です。この様に愛知の地は越後と因縁深い地域ということになります。

さて、本台の企画展の話に戻りますが、先週森市長とお会いした時に市長からは「どうしても全国市長会の開催と重なってしまいオープニングに出れないけれど、昨年末の全国市長会で西尾の市長さんにお会いした時、感謝の言葉と今後の交流をお願いした」という話をお聞きしました。長岡にとってはいろんな意味でのチャンスです。

開催期間中はこの機会にということで、田中長嶺の事績を学び取るだけではなくて、その時代の越後の歴史を踏まえて長岡郷土史研究会の今井雄介さんから4月30日の10時から講演をして頂きます。長岡のきのこ博士といわれる長岡技大名誉教授の宮内信之助さんからは、「きのこが語る里山の自然」というテーマで、同日の13時30分から講演をして頂きます。5月5日の最終日には、愛知の田中長嶺事績顕正会会長の中條会長さんより「明治の偉人 田中長嶺翁の足跡を探る」という記念講演を13時30分からやって頂きます。その後、今井さん、宮内さん、中条さんの3人をスピーカーとして私がフアシリテータとして参加いたします。入場無料ですので多くの皆さんから来ていただきたいと思います。

 残りの時間は、田中長嶺事績顕正会の中條長有昭さんのまとめられたものの中からご紹介いたします。

 

続きを読む: 「長岡が生んだ偉人 田中長嶺について」:鈴木重壱君

 

第2991回例会  2012.3.27


卓話 「もう少し気持ちや考え方を楽にして」

 高橋喜一

みなさん こんにちは!!

  今日のテーマは、卓話としてよいのかどうかは非常に心配です。しかし、短時間でまとめるには自分のことを話すのが一番早いのかなと考えました。2年くらい前に、ある先輩から私の性格について言われたことがあり、そのことを自分でどのように受け止めたらよいのか、ずっと考えていました。今年になって、少し気持ちの整理がついたので、そのことについて少しお話しさせていただきます。

最初に性格ということについてお話ししたいと思います。皆さんはエニアグラムについてご存知ですか?私が、この「九つの性格」、エニアグラムについて知ったのは、15年くらい前になります。

  「エ二アグラム」という言葉は、ギリシャ語で「9」の意味を持つ「エネア」と「図」の意味を持つ「グラム」の合成語で「9の点をもった図」を意味します。「人間には9つの性格のタイプがあり、すべての人はそのうちの一つをもって生まれてくる」というのがエネアグラムの考え方です。しかも、男女がほぼ半分ずつの比率で生まれてくるのと同様に、世界中のどの地域でも、各性格をもった人間の数はちょうど9等分になっています。その歴史は古く、およそ2000年前のアフガニスタン地方で生まれ、イスラム教スーフィー派へと受け継がれました。ここでは、エニアグラムは門外不出の「秘伝」とされ、指導者からその弟子へと代々口伝されていきました。そして今世紀中頃、米国スタンフォード大学の心理学者を中心にこの人間学の調査、研究が進められ、科学的にもその価値が認められました。アメリカ国内でのエニアグラムの知名度は年々高まっており、ことに近年はビジネス現場での注目度が高まっています。人事管理、組織運営などに関して多くの問題を抱えやすい大企業では、エニアグラムは人事担当者の必須アイテムとされ、ゼネラル・モーターズや、AT&Tをはじめ、多くの企業で取り入れられ、その効果が実証されています。

エニアグラムのテストは簡単です。9ページにそれぞれ20に質問項目があり、イエス、ノーでチェックし、その数を数えると、自分のタイプが分かります。

お手元の資料に、9つのタイプのプロフィールが書いてあります。タイプ1は完全でありたい人、タイプ2は人の助けになりたい人、タイプ3は成功を追い求める人、タイプ4は特別な存在であろうとする人、タイプ5は知識を得て観察する人、タイプ6は安全を求め慎重に行動する人、タイプ7は楽しさを求め計画をする人、タイプ8は強さを求め自己を主張する人、タイプ9は調和と平和を願う人です。

そこで、「本当に人間の本質が、九つのタイプにシンプルに分類できるのか?」、「例外はないのか?」あるいは「二つ、三つのタイプをあわせもつ人間はいないのか?」という疑問を抱くのは当然です。しかも九つの性格タイプは、世界のどのエリアにも九分の一ずつ均等に存在するという主張は、容易に信じがたいことです。

   この「すべての人間の本質には、九つのタイプがあり、しかも各タイプの人間の数は均等である」というエニアグラムの理論の確認に多大な貢献をしたのが、カトリックの司祭や神学者たちでした。エニアグラムの復元後、彼らは、数年にわたって約10万人の人々を対象に検証を行い、そのうちの3万人に関しては追跡調査も行いました。その結果は、エニアグラムの理論にたがうものではありませんでした。当初は、どのタイプにも当てはまらないと思われた被験者も、ワークショップを重ねていくと、必ず一つのタイプに分類できることが分かり、その比率は、ほぼ九等分になっていました。

私は、タイプ2の人の助けになりたい人です。タイプ2は、情愛深く、困っている人に救いの手を差しのべ、周囲の人々の助けになることに労をいとわない。他者の必要を満たすことに一生懸命な一方で、他者の助けを必要としている自分の気持ちに無自覚。直観力が鋭く、周囲の人々の気持ちに同調できるので環境への適応力の点で優れている。またいくつもの自分をもち、相手によって別の自分を見せることができる器用さも備えている。「他人を助けている」「自分を顧みず他者の世話をしている」ということでもっとも満足感を得る。

資料の図4は、各タイプの長所である「誇り」を示しています。そして、各タイプは、矢印と反対方向のタイプ「誇り」に向かうべきであることを示しています。私の場合は、タイプ8の「私は強い」という方向に向かうのではなく、タイプ4の「私は独特だ」という方向に向かうのが、自分の「囚われ」を強化することなく、自分の良い傾向によって、適切にことにあたり、状況を好転させることができるということになります。

初めて「性格」という問題について悩んだのは、スタッフ教育の時です。私たち診療所のスタッフ教育は、各年度でそれぞれに課題を与え、各自がこの課題に積極的に挑戦することにより、5年間で術者としての役割も十分に担当できる歯科衛生士になることを目的にしています。15年くらい前ですが、5年目の研修を受けるスタッフが居りました。5年目の研修は、自分自身の魅力を再発見し、自己表現することをテーマに、東京のホテルニューオオタニの中にあるジョン・ロバート・パワーズ・スクールの夏期集中講座への参加です。このスタッフが、研修には行きたくないと言い出しました。理由は、個性は自分で作るもので、人から教わるものではないということでした。私はこのスタッフが一体どのような考え方をしているのか?どのように指導すればよいのか?非常に悩んでいました。私の友達にはこのようなタイプの人はいなかったのです。

そのように悩んでいる時に出会ったのが「9つの性格」、エニアグラムです。一億人いれば一億の性格があるのも確かです。しかし、他の人の考え方や行動、また自分の囚われいいるものを知る事によって、より深く相手や自分を知ることができるようになります。エニアグラムを学ぶことで、まず、自分のしがらみや囚われから解放され、自由になった自分を知ることが出来ます。そして、自分の良い部分と悪い部分を知り、それをすべて受け入れ、自分自身と仲よしになる実感を味わうことになります。さらに、自分を受け容れるのと同じように、他の人も受け容れることが出来るようになり、その結果として、人間関係の劇的な改善を体験することになります。

私は、このような経験を通して、自分と会う性格の人や指示をよく聞く人だけでなく、いろいろなタイプの人がいること、そして、それぞれのタイプの特性が生かされたときに、組織も活性化されること、「差異は価値である」ことが理解できるようになりました。今では、スッタフの教育や病院での仕事に、エニアグラムは大いに活用されています。

 実は、2年くらい前になりますが、ある先輩から、一言言われたことについてずっと考えていました。

2009年10月頃だったと思います。大学時代の2年先輩で、新潟市で開業していました原田先生という方が、がんセンターに入院していまして、私は、お見舞いに出掛けました。大分悪いというのは事前に聞いていましたので、頑張って下さいとは言わないようにしようとか、なんて言って励ましたらよいだろうかとか、顔を見たらすぐに帰ろうとか心配しながら高速を走っていました。病室に行きまして、顔を見たら1時間半も話し込んでしまいました。病院の事とか、スタッフの事とか、歯科界の事とか、大学の教育の事とか、いろいろ話しました。病気のことについては、話しませんでした。その時の事なのですが、実は、先生の奥さんは3度目の方で、フィリピンかタイの方だったと思いますが、私は、再婚したことやお子さんが出来たこととかは知っていましたが、奥様とお会いするのは初めてでした。私が病室に行ったとき、先生が奥様に私を紹介されました。「こいつは大学の後輩で高橋と言うんだ。こいつはくそ真面目な奴なんだ。くそ真面目って分かるか?くそって分かるか?」と言われました。私も自分が頑固だとか、融通が利かないとか思ったことはありますが、くそ真面目と言われたことは初めてでした。私は、そのことがずっと心に引っ掛かかっていました。

年が明けて、私は、くそ真面目をインターネットで調べてみました。くそまじめは「真面目すぎることで周囲に迷惑がかかっている状態、その人の融通のきかなさに閉口している時に使う」と書いてありました。私は、この周りに迷惑がかかっている状態ということをここ2年ほど一人でずっと考え続けていました。そのようなことが、今までのいろいろな場面で多くあったように思います。

 私は、大学に11年勤務していました。長岡で開業して1年目に、医局のゴルフコンペがあり、私は数回スクールで練習し参加しました。もちろん結果は、地球をたたいて走り回って大変でしたが、その時、後輩はみんな上手だったんです。そこで後輩に、みんなどうして上手なのか尋ねました。すると、みんな練習していたというのです。忙しくてそんな時間はなかっただろうと言うと、先生に言うと怒るから、先生には内緒で練習に行っていた。教授も先生には言わないで練習に行っていたというのです。大学時代の私は、毎日の患者さんの治療の他に、5年生の実習、6年生の病院実習の指導、2つの衛生士学校の講義、技工士学校の講義、小児歯科学会の研究発表、障害者学会の研究発表、など多くの仕事を担当していました。夜、家に帰り食事をして、子供を風呂に入れて、また大学に戻って2時、3時まで仕事をしていましたし、週の半分は医局の寝袋で寝ていました。土曜日は、新潟の信学園病院の歯科室で入院患者さんの診療をしていましたし、日曜日は、家内の実家で子供の患者さんの治療をしていました。確かに、後輩がゴルフの練習に行きたいと申し出たら、正座させて、いったい何を考えているのかと、コンコンと説教したと思います。27年間の開業生活でも、家庭でも、同じようなことが多くあったと思います。

今年の1月1日の朝日新聞に、仲代達矢と倉本聡の「響き合う役者の流儀」という対談記事が載っていました。俳優の仲代達矢と脚本家の倉本聡が初めてタッグを組んで、」というドラマを作成しました。孫の再生に命をかける祖父の姿は、それぞれに役者の養成に心を砕いてきた2人の今に重なって見える。その2人の対談でした。その対談の中に、私にとって興味ある言葉が書いてありました。

(倉本) 僕は役を書くときに、俳優さんの欠点を探すんですよ。たとえば若尾文子さんとは2年間くらい付き合ったけど、分からなくて書けなかった時期があったし、八千草さんがそうだったんですよ。1年半くらい付き合って、分からなくて、それで事務所の人に「あの人よろいを着ている。自分の部屋で、あぐらをかいたりするんだろうか。僕はあの人のおならの音が分からないから書けない」って言ったんですよ。そうしたら八千草さんから電話がかかってきて、くすくす笑いながら「私のおならの音、分かりません?」って言われて(笑)、ええーって。

 「それじゃあ、新珠(三千代)さんのおならの音もわかりませんでしょ」と。これを聞いてね、ひとつ抜けたんですよ。

当時競ってた新珠さんへの嫉妬みたいなものが見えて面白かった。欠点を拡大して書いてやると個性になるんです。・・・・・

「欠点を拡大して書いてやると個性になる」。この記事を読んで、欠点も拡大すると個性になるのかと思いました。それまで考え込んでいた気持ちがかなり楽になったように感じました。

また、1月21日(土)武田鉄矢ショータイムで、今欧米で大ブレーク中の由紀さおりさんをゲストに迎え、なぜ世界で由紀さおりさんが評価されたのか?その秘密に迫っていました。ブレークのきっかけとなった世界的ジャズオーケストラのピンク・マルティーニとの奇跡の出会いや、世界で評価されたことへの思いを語っていました。この中で、由紀さおりが、若い時よりも音を3オクターブ低く歌っていると言ってました。最近は、「楽に歌う」ようにしていると言われてました。その時、私自身も、若い時とは違うのだから、もう少し少し力を抜いてやっていかなければいけないなと思いました。

 いよいよ、最後のまとめですが、周りの迷惑も考えずに突っ走るような性格です。今年は皆さんに心配やご迷惑をおかけすることが多くなると思います。気持ちや考え方を少し楽にして、出来るだけ皆さんにご迷惑をかけないように心がけたいと思っております。

 つたない話しで大変恐縮です、また、大変お退屈様でした。

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